北麓文化を担う人々

北麓文化を担う人々@
  内藤成雄さんが光をあてた北麓文化、それはどんな人々がになっているのであろうか。
 ここに、富士吉田文化協会三十年史・平成9年刊がある。そこに記された傘下39団体を、北麓文化をになう代表的な人々と思うので、その全容を概観してみよう。
 39団体は次のように分類することができる。これは筆者が独自に分類したので、失礼の向きはどうかご容赦願いたい。なお順不同である。
・音楽    9団体
・舞踊    9団体
・演劇    2団体
・文学    4団体
・美術    7団体
・茶道・華道 5団体
・その他   3団体
 文協三十年史は市・文化協会の歴史だが、39団体に所属する人々をみると、北麓全域にわたっていて、少数だが域外の人も含まれる。
  音楽
・富士吉田市民合唱団・富士五湖ウインドオーケストラ・富士吉田尺八同好会・緑鈴会(能楽)・吉田義太夫会(浄瑠璃)・富士吟詠会(詩吟)・富士吉田コール白樺(コーラス)・ふよう筝苑(筝曲)すその琴友会(大正琴)。音楽9団体のうち、創立がもっとも古いのが義太夫会で明治時代次は緑鈴会の47年、一番新しいのが琴友会の89年である。 

北麓文化を担う人々A
 内藤成雄さんが光をあてた北麓文化、その文化をになっている人々に光を当てると、そのになう人々を支えている人々の姿が浮かび上がる。そんな皆さんの生き様が、北麓文化なのであろう。
 二つ目のグループ
  舞踊
・藤豊会(日本舞踊)
・若尾バレエ学園
・渡辺珠実バレエ
・富士五湖舞踊友の会
・かい民謡輪の会(踊)
・西川会(日本舞踊)
 舞踊で創立の古いのは藤豊会の53年で、新しいのはかい民謡輪の会の84年である。
 
 三つ目のグループ
  演劇
・劇団 表現座
・吉田歌舞伎
 吉田歌舞伎は、明治時代後期にはじまる由緒ある北麓文化のにない手のひとつである。表現座は57年の旗揚げで、当時のメンバーは内藤さん宅につどった仲間であった。北麓文化をになう人々に目をあててみると、たとえば、コーラスのグループに入っている人々をとりあげると、信じ合う同志が年齢を問わずつどって歌うその姿は、生きがいにあふれた人生であると思う。北麓文化は奥深い。 

北麓文化を担う人々B
 内藤成雄さんが光をあてた北麓文化をになっている団体は多い。筆者は7つのグループにした。
 四つ目のグループ
 ○ 文学
・岳麓俳句協会
・岳麓短歌協会
・岳麓詩人集団
・富士吉田川柳会
 古いのは俳句協会で70年設立、新しいのは川柳会で90年設立である。
 ここで興味深いのは俳句協会設立の経緯で、北麓の俳人たちは北麓に避暑にきた俳道の大先達に教えを乞う機会に恵まれて、向上してきた。
 いくつかの俳句無尽会ができ、それを統合する岳麓俳句連盟が誕生、さらにどの会にも所属しない俳人を加えて、協会ができたのである。
 五つ目のグループ
 ○ 美術
・富士書道連盟
・サロン・ド・フォルム(前・青樹会) 絵画
・五湖美術会 絵画(展 示・指導)
・虹彩会  絵画・書道・彫刻・陶芸
・群美術会  絵画
・富士吉田写真連盟
・Vーピック・サークル パッチワーク
・草の根文化百人会 庶民の芸術(多方面にわたる)
 
 設立の古いのは五湖美術で52年、新しいのは草の根文化百人会である。(百人会に発表)絵画・写真・書道・切り絵・工芸手芸・リース・造花・生花・歌・俳句・刻字。

※写真は五湖美術会

北麓文化を担う人々C
 北麓文化をになう団体の、六つ目のグループ
 ○ 茶道・華道
・ゆきま会(お茶)・松風会(茶道)・不白会(茶道)
・岳静会(茶道)・華道連盟(いけ花)
 ゆきま会の設立が一番古く50年、最も新しいのは華道連盟で、70年の設立である。
 七つ目のグループ
 ○ その他
・すその路郷土研究会 (地域の歴史研究)
・富士吉田天文同好会 (天文)
・日本徐福会 (日中文化交流)
 設立は、順番に73年、68年、91年である。
 徐福会を説明しよう。徐福という中国の英雄が2千2百年前に、不老不死の薬草を求めて来日した。徐福に同行してきた人たちの子孫は日本に帰化し、弥生(やよい)時代の国造りに貢献した。徐福を祀る遺跡が中国と日本に数多くあり、日本徐福会が日中文化交流の活動をしている。
 内藤成雄さん(写真)は、北麓文化をになっている人々に期待して、次のように述べている。「創立時18団体をもって発足した文化協会は、現在39団体に成長した。更にうれしいことは、その数字的発展のうえに、どの団体も一つの終焉もなく、内容を充実しながら成長し続けたことである。」(30年史「はじめに」欄より)

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