湖町のろうそく能

湖町のろうそく能 @
内藤成雄さんは、湖町のろうそく能の催しを応援して、第1回から毎年鑑賞に通った。湖町とはもちろん旧河口湖町のことで、町とその周辺に住む人たちが日常口にする愛称である。ろうそく能を湖町ではじめた人は、船津の渡辺美智子さんという。東京から能の演劇集団を招いて、地元の会員たちが準備と裏方をつとめ、寺院の本堂に設営された能舞台で能が演じられる。
 ろうそく能の第1回は99年4月で、場所は小立の常在寺、第2回以降は5月に行なわれてきた。渡辺さんは吉田の謠・うたいの会で、30年前から練習を続けてきたという。吉田で薪能・たきぎのうが行われてきたことに刺激され、自分にできるものはないかと湖町のろうそく能を企画した。吉田の薪能は北口本宮の神楽殿で毎年8月に演じられ、27年の歴史をもつ。薪を燃やすかがり火を照明にして屋外の舞台で演じられるので薪能と呼ばれ、夏の風物詩として全国の200所余で行われている。現在ではかがり火に加えて電気照明が使われている。ろうそく能は全国でも例が少なく、屋内に能舞台がつくられ、照明はろうそくの火で電気照明が補助的に使われる。渡辺さんが企画するろうそく能を述べていく。

湖町のろうそく能 A
 内藤成雄さんが光をあてた北麓文化は、百花りょう乱と咲き競う。その中で生まれて間もない花の一つが、湖町のろうそく能といえよう。
 船津の渡辺美智子さん企画のろうそく能は、小立の常在寺本堂を舞台に繰り広げられる。渡辺さんの企画の特長は、能や狂言が演じられる前の解説であろう。99年の第一回は能面のはなし、00年は能装束、01年は狂言の美しさと楽しさ03年は鼓、04年は能の舞05年は能舞台という項目が、素人にわかり易く解説された。当日の後半は実演で、能と狂言が演じられる。よく知られる項目をあげると、能は99年に羽衣・はごろも、01年に殺生石・せっしょうせき、05年に土蜘・つちぐも。狂言では、01年に二人大名・ふたりだいみょう、03年に茶壷・ちゃつぼ。ろうそく能を湖町で実現、開設、実演のすべてを担当する専門集団を東京から招かなくてはならない。その費用は1回分で最低百万円はかかる。 準備と運営などの裏方を担当するのが地元の会員で、渡辺さんをリーダーとして14名、当初は9名だった。
 ろうそく能にかける渡辺さんのエネルギーは、どこから出てくるのか。

湖町のろうそく能B
 内藤成雄さんが光をあてた北麓文化のなかで、若い芽のひとつ湖町のろうそく能を続ける。これは船津の渡辺美智子さんが企画していて、年一回演じられる能・狂言の総費用は二百五十万円に達する。前回で述べた百万円は舞台装置関係に限っての額である。イベントはどんな場合も、企画する人々と、これをサポートする人々の協力で成り立つが、ろうそく能には小樽から駆けつける人もいる。常在寺の本堂にぎっしり座った観客は、目と鼻の先で演じられる本物の芸にうっとりする。楽屋へも自由に出入りして、演者と交流できる。
 演者側の理解も深いが企画側の心遣いもよい。寺の庭で抹茶も出すし、帰り道は参門までローソクの並木をつくって夢幻境の観客を癒やす。会費は、東京からきた専門家の人々にも心をかけて、プロの会場づくりの段階では手弁当の差し入れをする。中心者の角当行雄さんは、これ以上のぜいたくはないと、目を細める。渡辺さんは地域に能文化を根付かせるため、地域の子供たちと一緒に能楽を楽しもうを会の一つの柱としている。
 05年5月13日、勝山・西浜の中学生たちは能舞台を体験した。

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