世界遺産への道

世界遺産への道@
 内藤成雄さんが、富士山を世界遺産に登録する運動にかかわったのは、92年からである。
 それから、15年の歳月が流れた。
 07年6月27日「富士山の世界文化遺産登録」が暫定リスト入りしたと、新聞に報じられた。ユネスコの世界遺産委員会の会議でのことで、場所はニュージーランド。ユネスコとは、国連教育科学文化機関。会議とは、国際記念遺跡会議(イコモス)。これより前、07年1月、国の「世界遺産暫定リスト」に富士山が登録されている。
 今後、国から提出された登録推選書をもとに、ユネスコが現地調査などを行ない、世界遺産委員会で登録すべきか審議される。(朝日09・06・27〜28)
 内藤さんが歩んだ世界遺産への道をたどってみよう(こぶし第26号)。
ーー恩師の作家新田次郎さんの勧めもあり、自然遺産となることで富士山の自然を守ることができると考えたことが、署名運動のきっかけだったー
 反省もあった。
ーー選定調査委員を現地へ案内したとき、ごみの山を見て「日本人の良識を疑う」と言われた。われわれの運動は何の裏付けもなく、熱意だけでなんとかなるという甘えがあった。ーー
世界遺産への道A
  それは、自然遺産から文化遺産への道だった。
 内藤成雄さんが取り組んだ、富士山を世界遺産にしようという運動の歩みのことである。
 国が世界遺産条約を批准したのは、92年2月6日である。これをうけて富士山を世界遺産にする連絡協議会の第1回が、富士宮市で開かれた。山梨県側事務局は、中川雄三氏である。第2回は、93年2月13日に開かれ、この会議で内藤さんが山梨県代表に決定した。こぶし第10、26号による。
 こぶしの会は、署名運動を92年から始めた。このときは、文化遺産登録にするのが目的であり、静岡県側と連けいして、240万人の署名を全国から集めて、国に陳情した。このときの、県の動きに注目したい。
 県も、署名運動の盛り上がりを受けて、積極的に国に働きかけたのであるが、国の自然遺産候補からもれてしまった。しかたなく県は方針を転換し、富士山を自然遺産とするのではなく、文化遺産として登録するよう、国に申請した。
 内藤さんはどのように感じたであろうか。
ーー問題なのは、自然遺産が駄目だから文化遺産にしようという考え。世界遺産に登録されさえすれば、観光客誘致に弾みがつくという姿勢。
 むしろ富士山は、その両方の要素を持つ、第三の「複合遺産」を目指すべきだ。ーー

※ロゴマーク(県政だより『ふれあい』vol.10)より
世界遺産への道B
   内藤成雄さんの歩みは国の動きと関連する。
 93年、山梨県は署名運動の動きを受けて、国に富士山の世界遺産登録を陳情し、国では候補地への推選が見送られた。 03年、知事達の公約の一つとして陳情したが、国の専門委員会で最終候補にならなかった。
 こんな国の動きを、内藤さんはどう見たか。
 内藤さんは、静岡新聞社が企画した95年のシンポジウムを、重要視している。
 会議で「富士山の保護と保全」「富士山の文化的景観の可能性」が、論議された。顔ぶれは、ユネスコの世界遺産関係の責任者5名、日本側の関係者3名である。こぶし第23号によって述べる。
 会議の総括ーー富士山は、日本を代表する優れた自然景観を構成していると共に、古来、富士山信仰にもとづく宗教活動等や、詩歌・絵画・映像などの多彩な芸術活動にとっての、対象とされてきた。ーー
 会議の結論ーーこの総括の内容と、世界遺産委員会が示している「文化的景観という発想」とは極めて近いものだ。ーー
 そして、次のような提言をしている。
ーー自然環境の保全活動をさらに推進し、同時に富士山をめぐる文化的景観についての、国民・研究者・行政関係者等の論理の深化をはかるべきである。ーー
 富士山は自然環境も文化的にもすばらしい山だという自信を持とうと、内藤さんは強調する。※写真は『こぶし』第23号
世界遺産への道C
  内藤成雄さんが注目したシンポジウムは、95年静岡新聞社が主催した。
 企画された内容は、富士山の保護・保全と、富士山の文化的景観の可能性についての、専門的会議であった。
 招待者は、世界遺産条約に直接かかわる内外の専門官である。会議の結論は、前号に述べた。
 ここでは、会議で示された「世界遺産に対する評価基準」を紹介する。ユネスコの世界遺産センター所長が示したものである。(こぶし23号)
@人間の創造的能力による傑作として普遍性があると認められるところ。
A建造物、記念的芸術品
都市計画、景観デザインなどの発達における、人間の価値観の交流に価値ありと認めたもの。
B文化・伝統・文明の今日的伝承に特に価値ありと認めたもの。
C人間の過去の歴史上及び現代で重要な舞台となったことを示す記念物。例・原爆ドーム
D昔からの人類の集積地 例・シリアの古代都市
E以上の小自然景観を含めて文化的に高い価値ありと認められるもの。将来、富士山が世界遺産として考慮されるとき、この項目が非常に重要となる。山岳公園の宗教的・文化的重要性もここに入る。
 内藤さんはいう。世界遺産条約は、観光開発や観光客誘致とは逆行する目的を持っているものである。富士山と自然と文化を命がけで守ると世界に誓うことである、と。
(写真はふれあい vol.10)
世界遺産への道D
 内藤成雄さんは、富士山を世界遺産にする地域の人たちの動きに期待している。こぶし27号。
 富士こぶしの会という一団体がやることには、限界がある。そんな中、最近ある動きが出てきたことを知って、喜びにたえない、と。
 それは、07年3月11日に発足した『富士山世界文化遺産登録推進山梨会議』である。
「地元市町村や関係諸機関と連絡をとりながら、山梨県に対し、我々の会としての意見具申をしつつ世界遺産化を地域住民として推進していこう。」(趣旨)
「世界遺産となった場合何がメリットとなり、何がデメリットになるのかを幅広く情報収集し考察研究していかねばならない」。(決意)
 内藤さんはいう。この呼びかけ人には、地域各界の若手諸氏が名を連ねており、この連合体が力を発揮すれば、充分に県にも物申す力ある、そんな存在になるに違いないと思われる、と。

 エピローグ
 このシリーズは44回目に達したが、今回をもって終わることとする。
 内藤さんの了解も頂いて始めたシリーズだったが、内藤成雄さんの歩みがあまりに大きかった。拙筆でその足跡をまとめることは、無謹な行為であったと、自覚している。 (完)
(写真は『辛夷』第27号) 

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