辛夷・こぶしの心

辛夷・こぶしの心@
 こぶしは、春の山野で他の花に先がけて咲く。
 内藤成雄さんは、富士こぶしの会の会長で、機関誌『こぶし』の発行人でもある。
 同誌創刊号で、故・雨宮丙午郎氏が述べている
「この会の事業の一つに自然保護運動の実践がある。」同号で、副会長の新屋和夫氏が言う。「諏訪の森の一角での公園化にあたり、意見を求められ次のように提案した。公園予定地以外の広い赤松林を、市内の町会数に区分し「○○町会林」と名付けて、愛林運動を展開してはいかが、と。なぜかというと赤松は陽樹であるから、先人に見習って雑木・下草刈りや枝打ちをして風と日光を十分にあててやるのを怠ると、やがては赤松が陰樹に負けて、陰樹の森にとってかわってしまうから。いま手をさしのべるのが、赤松林諏訪の森を守る道だと痛感している。」
 この会の名称のいわれについては、このシリーズ(2)で説明しているとおり、諏訪こぶしの会の影響を受けている。会の発足は89年。誌名については、23号の「編集室から」で編集人・遠山久宏氏が述べている。ーー本誌の表紙の誌名が平仮名から漢字の辛夷に変わった。題字は山内(鷹野)千恵子さんである。

辛夷・こぶしの心A
 内藤茂雄さんにも「富士山を守れ」という文章がある。
 それは要望書で、あて名は山梨県知事・天野建殿。差し出し人はーー富士山環境保全を考える会代表者・内藤茂雄。
 対象の県の事案は…北麓五合目に、3層4階の立体駐車場を建設しようという整備計画。天野県政・山梨幸住県構想の重要目標の一つに掲げられた。
 内藤さんは言う。「極言すれば、新宿西口を富士山五合目に再現する結果を招く恐れもなしとしない。」
「もともとスバルラインは、自然破壊の象徴として、多くの反対論の渦巻くなかで建設された歴史をもつ道路である。霊峰富士の一角にあって、かって登山者全員から敬愛された小御嶽神社も、今日では広場を取り巻く建設の陰に追いやられ、古富士火山を立証する唯一の噴火口も駐車場となりその変貌ぶりは歴史地質学上憂慮すべき最重の問題となっている。」
「富士山の優美にして雄大な景観は、日本国民だけのものでなく、地球全体・世界市民のかけがえのない宝物である。」
 要望書は言う。「県の計画について、着工準備を中止、乃至一時延期されるよう、要望いたします。」
 こぶしの会とほかのいくつかの団体の運動は、翌93年に実を結んだ。

辛夷・こぶしの心B
 内藤茂雄さんの要望書は、大きな成果をもたらした。以下、こぶし第9号によって、述べる。
 ーー天野知事は、正式に言明した。
「富士山五合目に計画した、立体駐車場の建設は取りやめる」。93年9月3日の、記者会見の席上であったーー
 ここまでの経緯を紹介する。91年秋、県が立体駐車場建設を含む整備計画を発表した。こぶしの会は、主として「富士山の環境保全を考える会」に據(よ)って、外のいくつかの団体と協力して、県の計画に反対する運動を展開した。陳情、署名運動、また陳情…。
 93年、知事の言明。
 
 内藤さんの言葉。
 ーー県が万端の準備をして、立体駐車場建設を含む整備計画を発表してから2年、今日のこの発表を聞くのは、正直いって予想できなかっただけに、感無量のおもいであるーー。ーー県の見直し計画に対し、私は大体において賛意を表し、その英断に敬意を表することは度々表明したとおりであり、ほとんどの県民・国民も「よかった」と胸をなでおろしているーー
 そして内藤さんは、新しく要望している。
ーー安全と富士の野生動物との共存、関係維持の立場からも、この県の決定は勇気をもって行動してもらいたいーー
 内藤さんの、富士山を守れ、の叫びである。

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