巷で耳にした話(1)
 ちまたでは、いろんな人がいろんな話を聞かせてくれる。吉田の街に射しこむ陽の強さも話題になる。そのあとに続く声は、あの村はいいな、この町はいいなあ・・・。東隣の忍野村、超巨大企業ファナックのおかげで、村全体がうるおっているそうな。その東の山中湖村、演習場で大砲がドカンと鳴ろうと鳴るまいと、そこに土地を貸しているものはうるおうという。西の富士河口湖町では、観光事業の進展が順調で、町全体に活気が感じられる。その隣の鳴沢村は、平成の大合併にソッポを向いた。富士山の頂きの一部を村有地とするこの村は、麓にもつ広い別荘地のおかげで村が豊かだから、独立を守ったのだそうな。
 こうしてみると、みんな土地という資源を生かしているが、吉田ではそんな話を聞かない。
 吉田にあってほかにないもの、それは何か。人口である。吉田の人口は他の町村の合計よりも多い。人口は人的資源ともいえよう。資源であるならば、地域を豊かにする元ではないか。この資源をうまく生かして、吉田の街に暖かい陽を当ててくれる人たちが、きっといるに違いない。

巷で耳にした話 (2)
ちまたでは、いろんな人がいろんな話を聞かせてくれる。
元気は元手
 健康保険の保険料が重い、という話を聞く。そんな会話は、元気な人の口から出てくる。当人は保険の厄介になっていないとの、自負があるのかも知れない。
 去年、私は二度手術をした。外科で3日間、眼科で2週間。いずれもかかりつけ医の紹介。入院先で目にしたのは老若男女の大勢の人が通院、入院している姿だ。そんな人たちのほとんどが、健康保険を利用しているらしい。
 そこで気がついた。病院にかかっている人たちに、元気な人たちがかけている保険料が役立っているということに…。さらに、元気な自分が使わないのに保険料を払っているということは、自分が地域のために役立っているということにも気付かされた。元気な自分の身体を大事にしなくてはという気になる。
 自分の元気をいじめると、身体が弱くなる。寒い時期に薄着で寒さに立ち向かっている人を見ると、私には、元気をいじめている姿に映る。聞いたところでは、スポーツ選手でも寒さから筋肉を守るため、サポーターをしているとか…。

巷で耳にした話 (3)
 ちまたでは、いろんな人がいろんな話を聞かせてくれる。
微笑み(ほほえみ)は春
 ここ何年かのことだけど、役場の中で笑顔の女性を見ることが多くなったね。
 そんな話を聞くと、こっちも明るい気分になるんだよ。
 ところで、微笑みはどんな風にして生まれるのだろう。
 テレビで見た微笑みを話そう。下町の玉三郎こと、梅沢富美男の女形姿は女性の評判もいい。厚化粧の顔がにこやかに見えるのは、踊っている間ずっと、わずかに開いた唇から白い歯が見えるからだと気づいた。
 それと対象的に、素顔の彼がテレビで司会などするときは、口をむすんで男らしい顔をしているんだから、女形のときの微笑みは彼の演技から生まれるんだ。お客の心をひきつけるための演技。いいかえれば、お客へのサービス精神の表れ。
 こんな風に考えてくると、役場で見る笑顔は、彼女らの心が表われているんだ。そんな心で仕事をしている姿が、こちらを幸せな気分にしてくれている。
 巷に出て、春を感じさせる微笑みを探そう。おっとこちらも、下町の玉三郎の口をまねて…。


巷で耳にした話 (4)
 ちまたでは、いろんな人がいろんな話を聞かせてくれる。
老心と童心のタッチ
  子供ってかわいいもんだねぇ。抱いて頬ずりしたら幸せなんだけど。だけど、年寄りはキタナイから子供のそばに寄ってはいけない、って言われるだよ。悲しいねぇ。
 そんな話をする人の顔を見ると、幼児と自分との間には、自分が生きてきた長い長い時間が横たわっているんだから、仕方がないよという気持ちが表れている。近づけない距離を縮めるなんて、それはムリというものという声が聞こえてくる。
 そうかなあ、ちょっとこんなふうに考えてみたらどうだろう。人の一生の記録は時計の文字盤みたいじゃないだろうか。
 子供は、生まれたときが0時1分。年をとって命が終わるときは、11時59分。0時のところで、老心は童心とタッチ。タッチしたら、老心は童心とふれ合う。
 タッチという仕草が好きで私はよくやる。こんにちは!、さよなら!のとき、掌を立てた片手を差し出すと、相手も同じ動作をするから、タッチと声を出して掌を打つ。
 ちょっと気をつけたいのは、相手が子供のとき身体を低くして、目線をきっちり合わせること。(写真:山中湖村山中)


巷で耳にした話 (5)
 ちまたでは、いろんな人がいろんな話を聞かせてくれる。
それは決めごと
 自治会役員の任期を終えた人の話である。
 頭の痛かった問題は、ゴミステーション。どこにどんなふうに作るか、なかなか答えが出なかったという。
 ゴミといえば、むかしゴミ箱というのがあったことを思い出す。ドラマの下町風景のなかに、それはあった。細い道路に面した一軒一軒の家の前の玄関脇に、置かれたゴミ箱の形は同じでなかったように思う。各戸の自家製だったのだろうか。
 ドラマのゴミを捨てる場面では、家の中からゴミ取りや屑篭を持ち出して、ゴミ箱のフタを持ち上げて捨てる。ゴミ箱のまわりには、ゴミは散らかっていなかったように思う。
 ゴミ箱からゴミを回集するのは、どんなふうにやっていたのか。
 自治会役員が悩んだ問題の一つは、ゴミの分別作業。むかしのゴミ箱時代にはなかった。
 ゴミを捨てるのは、住民一人一人の作業だが、どんなふうに捨てるかは各個人にまかされる。そこで、ゴミステーションという決めごとができたのだろう。
 この決めごとを実行するのが各個人にまかされているところに、自治会役員の悩みがあった。
写真:忍野(むかしの風景)

巷で耳にした話 (6)
 ちまたでは、いろんな人がいろんな話を聞かせてくれる。
声はかけるもの
  ひととの触れ合いが、うまくできないんだけどねえ。
 家族のなかでも、うまくいかない。友人との間は、ザックバランのはずなんだけどねえ。知り合いが集まる会で、ワアワアやるけど、その先が。 
 スキンシップという言葉がある。辞書によれば母親が自分の子供の世話をすることから生まれる親密な親子関係(新選国語辞典)のことだという。 普段は、もっと広い意味で使われている。ハダとハダの触れ合い、そこまでいかなくとも、声と声のかけ合い、というのもいいと思う。 声をかける、ということが、思ったほどに気楽に進まない、といつも思い知らされる。 目を合わせたらすぐ、コンチワーと口にしようとして、あの人はどこの人だっけ。あいつとは前にこんなことがあった。そんなことが、声をかける前に、頭のなかをよぎっていく。 そのとき、パッと気持ちを切り替えて、とにかく声をかけてみたら、どうだろう。
 声をかけさえすれば、なにかが新しく始まるにちがいない。
写真:忍野(むかしの風景A)

巷で耳にした話 (7)
 ちまたでは、いろんな人がいろんな話を聞かせてくれる。
足くびを守る
 ゴミ捨てに行ったら、道の段差につまづいて足をくじいたよ。知人から聞いた話を思い出すね。雪道で滑って、足の骨を折ったということだったが、いまはどうしているだろうか。
 新聞などに出ている話だが、寝たきりという症状の始まりは、足の骨折が多いという。足もとをしっかりするということは、どういうことを言うのだろう。いちばん大事なのは履きものかもしれない。
 カットの写真は、雑誌のグラビアで見つけたものだが、サンダルが足にぴったりくっついている様子がよくわかる。
 身のまわりを見ると、ツッカケと呼ばれている履きものがある。履くのが簡単で便利だが、足から脱げるのも簡単で、とても足もとを守っていると言えないシロモノだ。家の前で足をくじいたという話をよく聞くと、ツッカケを履いていることが多いという。
 足もともオシャレの一部だから、実用一点ばりとはいかないが、ケガをしないにこしたことはない。とくに高齢者にとっては、足の骨折は致命的な症状をもたらす。
 足くびを守る履きものとして、雨ぐつを愛用しているが、履くのに便利で、足を守ってくれる。

巷で耳にした話 (8)
 ちまたでは、いろんな人がいろんな話を聞かせてくれる。

続けたら習慣
 肩こりにストレッチングがきくというので始めたのだけど、なかなか続かなくってねえ。ミッカボーズというやつだね。よく聞く話。経験によると続けられるのはなるべく簡単なやり方がいい。 時間も短い方がいい。
 それにしても、ものごとを始めるというは、どういうことなのだろう。始めるきっかけになる、何かがあるに違いない。そのきっかけは、同じときにいくつも、目の前に出てくるだろう。どれを先にとり上げたらいいか、誰でも迷う。
 そんなときは、何も始めない方がいいかも知れない。ある日ある時、ぱっと心に響くものがあったとき、それをきっかけにしたらどうだろう。
 例として、私のことを述べてみる。小学校4年の担任だった年輩の教師が話してくれたこと。何十年も冷水まさつをしてきたという経験談がカッコよかった。
 20代なかばのある時、その話を思い出して始めたのが乾布まさつ。冷水にオジケづいて、タオル1本でできることを選んだ。寝起きの着替えのときにやれば、簡単。
 すでに、50年以上続ける習慣となっている。 

※カット「鐘山の瀧」

巷で耳にした話 (9)
 ちまたでは、いろんな人がいろんな話を聞かせてくれる。

自分が出て当たり前
 なんでこんなことしなくちゃいけないの、って言ったら、自分で答えを出せよと言われたよ。
 やりたいようにやればいいとは思うけど、それが難しいんだよね。
 毎日のくらしは同じことのくり返しで、朝から晩まで自分のやりたいようにやっている。そのなかで、いつもと違うことをやらなきゃいけない場面が時々出てくる。その時にどうするか、自分で決めろというご意見なんだけど、さて、どうしたものか。週刊誌に参考になることが載っていた。
 靖国神社の正午の時報を合図に、境内のほとんどの人がもくとうした。木陰で座り込んでいた茶髪の男性は、弾かれたように立ち上がり、直立不動で拝殿に頭を垂れた。「戦争で死んだ人に感謝することは、日本人として当たり前でしょ。」
 ちょっと違った場面を想定してみよう。混んだ乗り物の中で、自分の前に老齢の人が立ったときに、弾かれたように立って、どうぞと席をゆずる人は、あまり多くないと思う。
 そして、年とった人を大事にすることは、社会人として当たり前でしょという人も、少ない。
※カット『冨士講』

巷で耳にした話 (10)
ちまたでは、いろんな人がいろんな話を聞かせてくれる。

遊んで生き生き
  ひまなもんで、また遊んじゃったよ。仕事の時は、ちゃんとやるんだけどね。いいじゃないか。ゆとりの中で楽しんでいるんだから。
 楽しんでいる時は、おれはこれでいいのかなんて、そんな気持ちだよ。
 そこへいくと、子供はいいね。休みの日は遊びに遊んで、楽しみきっている。大人には、あんな気持ちが戻ってこない、考えると空しいね。
 大人の場合、楽しみにひたりすぎると、あらぬ方にいくことが多いが、ちょうどいい楽しみ方が見つからないものか。
 テレビドラマにあったね。街の五十男たちが、若い頃にやった楽器を取り出して、バンドをつくるというシーン。それもカミさんたちには内緒。自分たちがつくったラーメン屋の歌を演奏したりしてね。そのシーンのメンバーは、みんな生き生きしていた。
 毎日の暮らしの中で、それに近い感じのものといえば、カラオケじゃないだろうか。どの会場でも、歌っているひとたちは、みんな生き生きしているもんね。
 自分の好きなもので遊ぶのが、いちばん楽しいのかもしれない。ひとりで楽しむ趣味がなかったら、なかまを見つければいいじゃないか。
※カット:市民運動会にて

巷で耳にした話 (11)
ちまたでは、いろんな人がいろんな話を聞かせてくれる。

深入りが救い
 それってどうなってるのって、聞いたんだよ。そしたら、余計なお節介だって言われた。どの程度まで入りこんでいいか教えて!
 そんな経験は誰でもあるんじゃないかな。他人のことってどうでもいいことかも知れないが、こちらには気になるもんだよ。親切心で言ってるつもりでも、相手にとってはうるさく感じることになるんだね。
 最近の新聞に載った、「児童虐待」。これは私らにとっては重い問題だけど、早期発見のためには、まわりが入り込んでいく必要があると思う。
 そこまでいくと、専門家でないとムリ。だけどまわりも知らん顔するんじゃなくて、なにか様子がおかしいと気づいたらその情報を専門家にとどけた方がよい。
 それでも、別の人からすると、告げ口をしているように見えて、文句を言われるかも知れない。
 世間というものは、人の寄り集りだから、お互いがふれ合うところで、なにがしかの波風がおこる。それをどんな風に受け止めるかが、人生経験になるのかも知れない。
 人生の達人とまでいかなくてもいいから、起きた波風をうまく処理できる人になりたいと思う。
※カット:ふれあい

巷で耳にした話 (12)
ちまたでは、いろんな人がいろんな話を聞かせてくれる。

寒くないフリをする
 誰と顔を合わせても、寒いねえがあいさつ代わりになっちゃった。
 ほんとに寒いね。こんなとき、どうやって過ごしたらいい。あんまり着込むのも格好わるいし、だからといって寒くないフリもできやしない。そうだ、それだよ。フリをすればいいんだ。雑誌でシェークスピアのいい言葉をみつけた。あのイギリスの古い時代の大作家だったね。ーどうせ悲しい人の世ならば、せめて楽しいフリをしよう。ー
これをまねると、こうなる。ーどうせ寒いこの冬ならば、せめて楽しいフリをしよう。ー
 さて、どうやったら厚着しないで、そんなフリができるのか。
 いい隠し道具を教えてあげよう。「衣類に貼るカイロ」。実は、これを肩コリ防止に使ったり、便秘防止で腹に巻いたりしているんだが、今では手離せない。やり方は、古いメリヤスシャツを切ってこれを包み、肩の下着の下にはさむ。また、布で作った小さな袋に入れ、ガーゼの紐を縫いつけて、下着の上から腹に巻く。当然、これは寒さ予防にも役立つ。
 もう一つの道具は、すねに当てるサポーター。冷えは脚からくるというからね。 

巷で耳にした話 (13)
ちまたでは、いろんな人がいろんな話を聞かせてくれる。

心持ちの人
  この頃、世の中に元気がなくなってきたから、物持ちを探してみよう。
 どんな人がいる?
 土地持ち、家持ち、世帯持ち。子持ち、親持ち亭主持ち、女房持ち。本持ち、植木持ち、着物持ち。靴持ち、帽子持ち、鞄持ち……これは、人の鞄を持つ人も含むよ。
 困ったものを持つ人もいるねえ?
 うん、悩み持ち、頭痛持ち、便秘持ち。こういう人には、同情するよ。
 なにか、忘れているものが、一つあるけど?
 ああ、金持ちのことだね。ご本人は気分いいかも知れないが、まわりの人にせん望の気持ちを起こさせるところが、どうもねえ。それよりも、心持ちはどうだろうか。
 それはちょっと聞いたことがないねえ。
 それでは、いい話をしてあげよう。日本人Aと比島人Bの物語だ。Aが大学時代にレイテ島に行ったとき、Bの生き方を見て「頭をガツンとやられた」そうだ。Bは医学生だが、現地で患者の世話をするとき、患者との会話で診断していた。Aには分からないが、Bは相手の表情やしぐさから病状を読み取っていた。Aには、五歳年上のBがまぶしかった。
 「相棒」になったふたりの合言葉は、「金持ちより心持ち」だという。 

巷で耳にした話 (14)
ちまたでは、いろんな人がいろんな話を聞かせてくれる。

おしゃべりしようよ
 スーパーで、ときどき数人でおしゃべりしている姿を見かけるね。 ドラマに出てくるような井戸端会議というのは、なくなったよ。
 子供の頃、教室でおしゃべりするなって、よく注意されたなあ。いまの学校では、注意などしないそうだよ。
 私語をつつしめ、という言葉があったなあ。そう、劇場や映画館ではそんなことがあった。
 そういえば、おしゃべりを商売にしている人たちがいるねえ。うん、学校の先生、アナウンサータレント。その中に、天才といわれる爆笑問題の二人がいる。おしゃべりは聞く人のいやしになることがあるんだねえ。老人施設での職員と老人のおしゃべりが、そうなんだろうなあ。
 ある作家の話。生前の手塚治虫とテレビ共演したとき、マンガの神様は気さくに、楽屋にいるこの作家を訪ねた。
 ねえK君、放送が始まるまでおしゃべりしようよ、と言った。それから二人で小一時間、マンガの話をした。彼にとって生涯わすれられない体験になったという。
 巷のどこかで、おしゃべりしたいと待っている人がいる。そんな人にしゃべりかけてあげることができたらいいなあ。

巷で耳にした話 (15)
ちまたでは、いろんな人がいろんな話を聞かせてくれる。

支え合う仲
 この頃の世の中は、他人とせり合うことが多くなったと思わないかい。
 子供の頃から、学校の成績は順番がついてた。近頃は、かけっこを子供にさせないそうだね。順番つけるのをやめたからって、せり合う心は消えないだろうに。
 ペットを飼っている人は、心がいやされるそうだが、人間同士だとせり合うのはなぜだろう。
 坂本九ちゃんの話を思い出すねぇ。銀座のまちで母親を支えるように歩いていた女性に、結婚を申し込んだそうだ。人と人が支えあう姿というのは、それを見た人の心をあたたかくするんだろうね。
 支えあいにも、高齢者の介護保険ていうのがあるが、あれは年寄り同士で支えあう形だね。
 支えあいっていうのは世の中の仕組みの一つだから、いろんな形があっていいんじゃないか。
 そうか。支えあいの仕組みというものが、この世の中にできているんだとしたら、その仕組みがうまく動いていって欲しいねえ。
 そう、仕組みといっても、人の心と心の支えあいなんだから。


巷で耳にした話 (16)
ちまたでは、いろんな人がいろんな話を聞かせてくれる。

好きがいちばん
 ー若い苦労は買ってもしろと、いつもおふくろ言っていたー 
こりゃ、氷川きよしの歌の文句だけど、おめえは、苦労してきたと思ってるかい。ダメダメ、いつも逃げていた。なんで、こうなっちゃうんだろう。
 いい話があるよ。山形弁の米国人タレント、知ってるだろ。
 ーよく聞くんですよ。あのな、勉強ってのは、苦しくなけりゃダメだって。そんなバカな。苦しんでやって、好きになれるもんじゃねえんだよ。オレも最初の半年は、苦しかったと言える。でもそれは苦しさではなく、悔しさ。それは大事だと思う。ー
 そうか、逃げたくなる気持ちをおさえているうちに、だんだんやっていることが好きになっていくということだね。そうだよ。好きっていう字は、女+子だろ。女の人が子供をいつくしむように、目の前のことに取り組めばいい。吉田拓郎の歌、ガンバらないけどいいでしょうだね。うん、追いかけすぎるのは、いけないんだね。自分のことをキライになっちゃ、いけないんだね。拓郎も色んな病気に苦しめられた後、この歌をつくったそうだ。

巷で耳にした話 (17)
ちまたでは、いろんな人がいろんな話を聞かせてくれる。

遠回りに見えても
 オレの今までの人生って、遠回りしてきたんじゃないかなあ。ストレートに目標にとどいた人がうらやましいよ。そんなことはないと思うよ。古い歌だけど、菅原都々子さんが歌っていた。
〜〜月がとっても青いから、遠まわりして帰ろう。〜〜
 オマエの通ってきた回り道にも、青い月が出ていたんじゃないかなあ。
 いい話があるよ。「遠回りに見えても、神様は必ず見ている。(伊藤忠商事会長・丹羽さん) 誰でも、才能の開花を告げるランプがつくときが来る。」と言われているんだよ。
 そう言われると思い出す。回り道をしていた時も、自分の好きなことをやっていたってことを。それだよ。好きなことがあるって、すごく幸せなことじゃないかなあ。その時にはきっと、青い月が出ていたと思うね。筆者が、回り道しながらやっていた好きなこととは、絵を描くこと。学校でも卒業しても、いつでもスケッチブックを持ち歩いていた。
 だから感じている。回り道、そのものが人生だったということだ。
※写真:台湾旅行から

巷で耳にした話 (18)
ちまたでは、いろんな人がいろんな話を聞かせてくれる。

たのもしい表情
 こどもの頃、原っぱの道を走っていたら、いきなり足をとられてころんだ。なにかと見ると、道ばたの長い草の先を結んで、輪にしてあった。くやしかったなあ。
 そういうことをする人の気持ち、わかるよ。あとからくる人がこけたら自分の方が先にゴールに着けるからなあ。
 こっちがころんだ時、そばへよってきて肩をたたき、だいじょうぶだよって、言ってくれる仲間がほしい。
 たすけをもとめる仲間に力をかすには、ずいぶん勇気がいると思う。こちらが向こうを助ける力を持っていないとできないから・・・。
 いい言葉があるよ。俳優の本木雅弘さんが言っている。ーー司馬遼太郎の書いた「21世紀に生きる君たちへ」の中にある「たのもしさ」という言葉が好きです。日本人の持っている、勇敢さ、他人への包容力でもあるが迷いも誇らしさも含んでいると思う。ーー
 そうだね。こちらがたのもしい表情をしていると、相手もこちらとたすけあっていこう、という気持ちになるんだろう。
 おたがい、たのもしい表情をつくろう。
※写真:台湾旅行からその2

巷で耳にした話 (19)
ちまたでは、いろんな人がいろんな話を聞かせてくれる。

あったかな気持
  おまえは、いつも言っていたね。あったかな気持ちにさせてくれる人はありがたいって。
 それって、絵にもいえるんだよ。県立美術館に展示されているから、知ってるだろうけど、ミレーの絵。「冬“凍えたキューピッド”」。
 寒さに凍(こご)えそうになったキューピッドが詩人の家族に救われる情景を描いている。
 ミレーは、古代ギリシャの詩から着想を得たと言われるけど、詩の内容はわからない。
 それにしても、人間って、あったかな気持にしてもらえることを求めているのは、古代から今まで同じだと思う。
 なぜって、あったかな気持ちになれなかったら人は絶望の渕に沈んでしまうかも知れない。
 それにしても、キューピットを救った人たちって、どんな人なのだろうか。
 あったかな気持ちを、そのまま実行にうつせる勇気を持っている人たちだと思う。
 鎌田實医師は言っている。夫を安らかに亡くした奥さんは、たった一言のあったかな言葉に感謝しているのである、と。

写真:ミレーの絵『“凍えたキューピッド”』


巷で耳にした話 (20)
ちまたでは、いろんな人がいろんな話を聞かせてくれる。

おいしいは上品
 おれはねえ、食べたものがおいしいと、すなおに言葉に出せられないんだよ。
 それは、おれも同じだよ。なぜなんだろうね。おいしくないと感じたときは、あっさりと、これはおいしくないねと、言えるのにね。
 こういう話があるんだよ。ある評論家が書いていた。「子どもの頃の話だが、いつもと違うレストランに入って、好物のメンチカツを食べた。これ、いつものよりもおいしくないよ」。
 すると父親は言った。「ほかのお客さんは、おいしいと思って食べているときに、おいしくないと言うのは、下品なことだよ。」と。
 そんなんだ、おいしいと言えることは、上品なことなんだ。これはいいことを聞いたぞ。
 あの人は品のいいおじさんだね、と言われて気分の良くない人はいないだろう。おいしいの一言で上品になれるんだったら、たいした努力はいらないねえ。
 これからは、なにか食べたときにきちんと言ううことにしよう。「これおいしいね。」と。

写真:好きなもの

巷で耳にした話 (21)
ちまたでは、いろんな人がいろんな話を聞かせてくれる。

忘れるは入れ替え
 知人がこぼしていた。子供が「覚えることが多すぎて、前のことは忘れてしまうよ」と言ったことが気になると。そういえば、聞いたことがあるね。古いことを忘れるとそこへ新しく覚えることが入っていくと。
 漫画原作者の雁屋哲さんが、米国の教育者のことばを書いているよ。
 忘れることが大事なんだ、と。以前に学んだことは、子供の意識の中で心を活動させる力として働いている。だから、時間をおいて同じことをまた取りあげると、心が活動しているから、以前より理解がいっそう深まるというのだよ。
 忘れるというのは、古いことと新しいことの入れ替えではないんだね。
 そう、覚えたことを忘れても、覚えるという心の活動そのものが心の力になって残っていて、理解を深めることができるということなんだね。
 いい話を聞いた、おかげで元気が出るよ。忘れっぽいといわれても、気にすることはないんだ。
 覚えたことを忘れてしまっても、覚えるという心の活動そのものが力となって、心に残っているんだね。(写真:精進・民宿村)


巷で耳にした話 (22)
ちまたでは、いろんな人がいろんな話を聞かせてくれる。

好きは楽しい
 年配の男たちが酒をくみ交わすとき、畑づくりに話が沸く。少しばかりの自慢話もまじって、いま出来ているのはあれだよ、これから取れるのはあれだなあと、畑でものを作るのが好きでたまらない様子である。年配の女たちも、展示会に飾られた手芸品を前にして、尽きないおしゃべりをしている姿は、もっと楽しそうである。
 歌手の今井美樹は語っている。
「ディレクターのはからいで、自分が好きだと思えるような曲が集まってくるようになった。
 それからは、歌うことがいきなり楽しくて仕方がなくなった」。
 巷の親たちが、よく嘆いているよねえ。うちの子供は好きなことばっかりしていて、困るよと。
 それは、しょうがないよ。好きなことをする本人は、楽しくてしょうがないんだから。
 私も好きなことをして何十年になるだろうか。それは絵を描くことで、それも富士山を描くことが多い。
 富士山を描いているときは、時間のたつのを忘れてしまう。
 本人は、それが楽しくてたまらないんだね。

(写真)梨ヶ原の火入れ

巷で耳にした話 (23)
ちまたでは、いろんな人がいろんな話を聞かせてくれる。

ひとのことを考える
 あんたが言っていたねぇ。子供が、自分のことしか考えなくて困ると。そうなんだよ。少しはひとのことを考えてくれればいいって。
 だけど、人って自分のことしか考えていないのが普通じゃないか。だから、ほかの人のことを考えてやれる人は、すごい人だと思うよ。子供にはそんな人になってもらいたいだろう。
 そんな心配をしているあんた自身はどうなんだい。だれかに何か言われたのか。
 新聞のコラムで読んだけど、水害にあった人の感想だよ。ーー誰かのために行動できる人たちが世間には、ごく当たり前に存在する、っていうことなんだけどね。
 だから、行動するまでいかなくても、ひとのことを考えられるようになりたい、という話か。
 どうしたら、そうなれると思う。
 そのコラムの内容からすると、別に努力する必要はないと思うね。人はたいへんな目にあったとき、一緒にいる誰かのことを考え、行動できるのが、ごく当たり前のことだというだろ。
 そうか。ひとのことを考え、行動できるように人間はできているということなんだね。

(写真)鹿野苑の釈迦


巷で耳にした話 (24)
ちまたでは、いろんな人がいろんな話を聞かせてくれる。

カラオケで自分を出す
 アンタがカラオケで歌っているときの顔は、ほんとに楽しそうだね。なぜだろう。誰でもそんな顔をしているよ。オレもカラオケが好きだよ。自分の持ち歌が増えたときは、嬉しいからね。
 カラオケのおかげで、楽にウタを覚えられるようになって助かる。みんながそうだから、酒場ではマイクが次から次へ渡っていくんだね。
 誰が考えたもんか知らねえが、歌声と曲が別れ別れになっているから、誰でも自分の歌がうたえるところがいいね。
 そうそう、オレは歌を習ったことがないけど、カラオケがあるから自分なりの歌が歌える。
 カラオケのテレビを見てると、歌に合わせていろんな絵が出てくるのが嬉しいね。
 歌いながら、自分がステージの主人公になった気分になれるんだよ。自分が好きなどんな歌でも選べるところが、何ともいえない。
 あの機械はコンピューターなんだってね。小さな箱の中に、2万曲も入っているらしい。テレビの絵は3千種もあるという。歌の文句とうまく合う絵を、パッパッと画面に出すのがにくいね。
写真:東山魁夷『緑響く』

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