その時吉田は動いた@ 内藤成雄さんを市長に推そう、という動きがあった。それは、83年の市長選を目前にした時期のことである。内藤さんはその時のことを、こぶし第24号の中で述べている。「かなり以前、私が政治の現場に引っ張り出されるかも知れない、際どい現実的な局面があった」。 内藤さんの口から直接それを聞いたのは、04年6月のこぶしの会の宴席でのことである。「吉田の二大派閥の主だった人たちが、次々と私を口説きにやってきたんだ。最後には堀内先生が見えて、そろそろウンという頃だと思って来たよ、と言われたんだが、私は首をタテに振ることはしなかった」。内藤さんはその時、何を考えたのだろう。前出のこぶし誌面で述べている。「私は切羽詰まって雨宮丙午郎さんに相談した。人を見る目が甘い私の性格は政治に向かないという。彼の忠告は身に染みた」。 04年9月17日筆者は、渡邊彬さんをつるしん理事長室に訪問した。内藤さんの話を伝えて、渡邊さんの返事を待った。「私はその時いなくて後で聞いた話だから、・・・だそうだということしか、私は言えない。両方の派閥の人が・・・、それが事実だとしたら、皆さん本気だったんだ。『争いはするな』という市民の声があったことは確かだから」。渡邊さんの話は続く。(写真は都留信用組合理事長 渡邊 彬さん) |
その時吉田は動いた A 83年の市長選に内藤成雄さんを推そうという動きがあったことについて渡邉彬さんに聞いた。 「その話の情報源がどこか知らないが、内藤先生がもう時効だからと話されたのなら、事実だったと思う。でも先生は、そんな話をよく第三者に話されたねぇ」。 (筆者) 内藤さんのよき理解者だった雨宮丙午郎さんが亡くなって、突っかい棒がとれたように、もう時効だと感じられたのでしょうか。 「私は政治に深入りするのは嫌いだから、派閥幹部との話の場に入ってはいないし、だから声もかかってこない。そりゃ事後協力はあるけどね。 私は、そういう動きをからかいはしない。盛り上がってくるまで、私は話を聞かない。私がそういうことを嫌うのは、血道をあげてウソのつきっこをしている様子が泥くさいし、みにくいから。そのとき両方の力のある人たちが内藤先生のところへ行ったのは、ゼスチャアだったか本気だったのか。私が解釈するなら、あの先生が出れば吉田がよくなるという期待があったんだと思う。結果として内藤先生が市長選に出なかったのは正しい選択だったと私は思う。先生はどうか物書きを、というのが私の気持ちだね」。 渡邉さんの話は続く。 |
その時吉田は動いた B 内藤成雄先生を市長に推そうとして、83年市長選のときの両派閥の動きがあったという話は、色々考えさせられる。 「政治の分野では、オール与党の場合なあなあになってしまうから、いい意味で反対派が必要だと思う。当時の新しい市政をというムードを背景に、両派の人たちが内藤先生のところへ行った。ホーライ(蓬莱)のオレだって、55年の開業から医者をしている人だ、若いときから先生と同業で尊敬してきたよ。メンバーの中で先生はすばらしい人、大御所だ。 先生の書かれたものはよく憶えている、すぐれた表現だから・・・。市内の反響もいいし、悪くいうものはいない。もし内藤先生が市長に出たとしたら、どちらかの派に片寄らざるをえない。先生の、文化人としての中立の立場がなくなってしまう。83年の動きの中で、先生は市長選に出なかったのだが、今の道をいかれるのがすばらしい。こぶしの会の歩みをみても、内藤先生だから今までの実績をつくることができた、私はそう思っている」。 そのとき吉田は動いたのだが、新しい動きとはならなかった。 |
その時吉田は動いた C 内藤成雄さんは、83年の市長選に推されたとき首をタテに振らなかったのは、雨宮丙午郎さん・故人の忠言にしたがったからだった。そのとき内藤さんの人生は大きく動いた。 雨宮さんは内藤さんに語った。「政治の代りに文筆で何か書きなさい。発表の場として、毎日新聞山梨版の紙面を提供するから・・・。」 内藤さんにすれば、ここまで舞台をしつらえて仕掛けられては、後に引けない。ちなみに雨宮さんは長く、毎日新聞富士吉田通信局に在籍した新聞記者だった。 内藤さんは雨宮さんを偲んで、次のように述べている。 「彼こそ木鐸(ぼくたく)の呼び名にふさわしい名記者だったといえよう。書かれて傷つく恐れのある記事は、手柄になるとわかっても書かなかった。反面、先が見える人だから反社会的なことは容赦しない。任地である北麓のことをよく調べ、適格な批判と指導的な辛口論評は定評があった。富士山、富士北麓はこのままでは駄目だ勿体ないと口癖のように言っていた。88年の新田次郎展・新田次郎文学碑の企画の動きがあったときも、仕掛人は雨さんだった。彼の果した仕事は大きかった。」内藤さんを文筆に動かしたことは、雨宮さんにとって大きな実績であった。(参考・こぶし24号) 注)【木 鐸】ボクタク @木製の舌を有する金属製の鈴。A世人に警告を発し、教え導く人。「社会のー」▼古代中国で、法令などを人民に触れ歩く時に@を鳴らしたところから。 木鐸(岩波漢語辞典のコピー) |